イノベーションのジレンマはなぜ繰り返されるか

二週間ほど前に、主にゲーム産業に関わる方向けの講演を行った。本題はエンターテインメントに使えそうなインタラクション・センシング技術ということだったが、その導入でイノベーションのジレンマ(原題を尊重するなら「イノベーターのジレンマ」)に触れてみた。講演後のパネルセッションでオーガナイザーをされた新清士さんも

テクノロジー : 日経電子版

みたいなコラムをすでにお書きになっているので、ゲーム産業でもイノベーションのジレンマは普遍的に発生しているのだろう。

イノベーションのジレンマ」は今更紹介するまでもないが、継続的に進化していく「持続的テクノロジー」が、ユーザの要求水準を超えてしまっても高機能化を競い合っていると、急に「破壊的テクノロジー」が出てきてその高機能化競争の構造が破壊されてしまう、というものだ。ブラウン管→フラットパネルディスプレイメインフレーム→PC、なんかがその典型例だろう。

イノベーションのジレンマという考え方のすごい(恐ろしい)ところは、この本が出版された後も、同様の「持続テクノロジー破壊的テクノロジーに凌駕されていく」過程が何回も何回も繰り返されていることだ。この本は出版されてすでに10年近くたっているし、ベストセラーでもあるので、およそ技術的なマネージメントや経営に関わる人はすべて「イノベーションのジレンマ」について基本的な知識を持っていると考えるのが妥当だろう。であるのに現象が繰り返されるということは、イノベーションのジレンマが「突発的な危機」「予想しなかった事態」なのではなく、「わかっていたのに避けられなかった」事態だということになる。

つまり、イノベーションのジレンマが「存在する」というのはもはや驚くべきことでも何でもなく(多くの事例により証明されている)。「わかっていても避けられなかった」「破壊的テクノロジーのことは予期していたのにうまく対処できなかった」ことのほうが本質的な問題である。

「わかっているならちゃんと手を打たなきゃだめだろ」「そうじゃなきゃ経営者失格」という意見もあるだろうが、繰り返し発生している現象を、単に個々の経営者の資質やマネージメントの問題に帰着してしまうのもやや短絡的すぎるような気がする。より普遍的な現象と考えるべきだろう。

イノベーションのジレンマはなぜ繰り返されるのか。

まず、次のようなことが言えるのではないか。

ある持続的テクノロジーに対する破壊的テクノロジーを予測することは比較的簡単。しかし、持続→破壊のトランジションが「いつ」起きるかを予測するのは難しい。

たとえば我々は、将来の放送がインターネットに置き換えられるだろうという予測は、ほぼ共通認識として持っている。問題は、それが「いつ」起きるかというこだろう。つまり今の放送網の構造が破壊されるのはいつなのか。3年後なのか10年後なのか50年後なのか。その時期によってとるべき「最適戦略」は全然変わってくる。パッケージメディアがネットワーク(ストリーミングやハードディスクへのダウンロードを含む)にやがては置き換えられていくというのは別に突飛な発想ではない。でもそれは「いつ」なのか。その時期によっては次世代フォーマットで競争する意味そのものが消滅する。

現在から過去を振り返ってみると、なんでも当たり前のように見える。インターネットの普及は必然だし、シリコンオーディオがディスクメディアを凌駕するのも自然な流れ。だが、たとえば1994年時点において、ブロードバンドの家庭での普及率が50%を越えるのはいつなのか、を正確に予測することは極めて難しかったろう。最初のシリコンオーディオプレイヤーは、たぶんNECが(主に半導体技術の可能性を示すために)試作したものだと記憶しているが、当時それを見たときの率直な感想は「メモリを大量に積めばミュージックプレイヤーになるのは技術的には当然、だけど当分は現実的なコストではつくれないんじゃないか」だったのを覚えている。

いろんな新技術とその普及について、「結局、いずれこうなるとは最初からわかってたんだ」みたいな意見をよく耳にするが、「いずれこうなる」だと別に誰でもそう思っていることなので「いつ、こうなる」を予測できなければ価値がない。

時期の予測をさらに難しくしているのは、自分の所属している側によって無意識のうちにバイアスがかかってしまうからでもある:

持続的テクノロジー側の人間はトランジションの時期を遅めに見積もりがちである。

持続的テクノロジー側の人は、できるだけその技術が継続してほしいという「願望」を潜在的に持っているので、世の中の情報を無意識のうちにバイアスをかけて見てしまう。たとえば電話側の人間が 「VoIPの音声品質はまだ発展途上」みたいな記事を見かけると「それみたことか」と思って、そのすぐ横に書いてあった「VoIPでは交換機のコストが1/100」というところは素通りしてしまったりするかも知れない。といった具合に、持続側の人間が、少しずつ少しずつ現実世界を持続側の願望に引き寄せて見てしまう。だんだん冷めていくお風呂のような感じで、外に出るのは寒いし、まだ浴槽の中は温かいし、まだいいかと思っているうちに風邪を引いてしまう。

一方、破壊側、典型的にはベンチャービジネスの人たちがテクノロジーの到来を早く見積もりすぎてうまくいかなかった、という事態にもよく遭遇する。
「あれは先進的すぎたんだよね」
「方向性はよかったが世の中がついてこれなかった」
みたいなのは非常によく見聞きする話。ベンチャーなのでテクノロジーと世の中がマッチングするまで待ってる、という悠長な戦略は選択できず、とにかく(時代より早すぎるとわかっていても)勝負に出なければならないという事情もあるのかもしれない。

要するに、トランジション時期の予測を前にでも後ろにでも見誤ると、イノベーションのジレンマの事例もうひとつ追加、という状況になるのではないだろうか。

ただ、

本当に技術をもっているところはトランジションの時期を自分の力で「少しだけ早める」ことができる。

ということも言えるかもしれない。破壊的技術の到来を「遅く」することは難しいし危険でもある(他がやっちゃうだろうから)が、自分の力で早くすることができれば、そこには大きな優位性がある。だから、持続側の大企業であっても、破壊的テクノロジーを自ら準備して、その投入時期をうまく見計らって、しかも他よりも少しだけ早く移行に踏み切る、といううことがうまくできれば言うことないのだが、まあそうは簡単にはいかないか。

イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard Business School Press)

イノベーションのジレンマ 増補改訂版 (Harvard Business School Press)