itojun

itojunに最初に会ったのはソニーCSLに転職したときだからたぶん1993年か1994年あたりだと思う。当時itojunはまだ慶応の大学院生でCSLにはインターンとして来ていた。CSLの一番奥の学生部屋に少年の面影が残るitojunがいて(比喩ではなく本当に)目にもとまらぬ指使いでキーボードを操っていた。マウスをまったく使わずにもの凄い速度でウィンドウを操作していたのも印象的だった。インターネットに直結しているかのようだった。初対面の瞬間にも彼がとてつもない才能の持ち主であることは直ちに理解できた。それでいて全体としてはやはり少年の雰囲気を持つひとなつこい感じのするitojunだった。

本職のIPv6を初めとするインターネット全般に対するに功績についてはもう充分ご存知だと思うが、itojunはたぶん日本最初のブロガーでもある。ブログという言葉が出来る遥か以前から電子日記を書いていた。デジカメ黎明期の日記やWebサイトはあまりにも有名だった。最初期の日本のWeb文化をある意味先導していたのはitojunだった。料理の写真を大量に撮るスタイルもitojunが確立したものだと思う。後にブログがはやりだしたときに、えーそんなのitojunはずっと前からやっていたじゃないかと思ったりした。

今年の夏のMEMORY+に来てもらって、いろいろディスカッションしたのがついこの間のこと。世界SF大会の運営にも関わっていて「最近こんな人とも会ってるんですよ」といって小松左京の名刺を見せてくれた。東大の構内をitojunはFIAT500のクラクションを挨拶代わりに鳴らして去っていった。なんか彼らしい車だなあと思いつつ見送ったのが私としてはitojunとの最後になってしまった。その後もfacebookのfriendにしてもらったりと電子的にはコンタクトはあったのだが。今週の火曜日はたまたまCSLでIPの枯渇問題がラボミーティングのトピックだった。itojunのことも当然議論に出てきた。その日の帰りの電車で訃報を受信したときは体から力が抜けていった。itojunとの出会いは私にとって本当にかけがえのないものだ。itojun。そっちにもインターネットはあるのだろうか。なければきっとitojunが全部ゼロからもっといい設計のを作っちゃうのだろうけど。でもその前にまずはゆっくりと、ゆっくりと休んで下さいね。

合掌