感覚器と脳

「1つ考えられるのは、感覚器が複雑になるほど、脳は単純で済むということだ」とCronin氏は話す。「受容体レベルで分析ができれば、脳で処理する必要がなくなる」
http://wiredvision.jp/news/200804/2008040123.html

これはシャコが円偏光を認識しているという研究に関連しての発言だが、面白い指摘だ。

たとえばネットワークも巨大なセンシング受容体だと言える。リアルなセンサー以外にも、検索キーワードやWebアクセスそのものも人間社会からネットワークに大量に投入されているセンサー情報である。感覚器が超リッチで、コンピュータは高速だが単純という構造と、シャコのように脳を発達させずに感覚器官が発達して生存性を高めたという構造には類似性があるのかもしれない。逆にいえば(高等生物の)脳が発達しているのは性能の限られた感覚器官で生存するために必要だったからと考えることができる。たとえば外界がいきなり3次元で認識できるなら、脳が頑張って立体視する必要はないわけだし。

最近、こういった「下等(と思われている)生物の意外なアーキテクチャー」に興味を引かれる。そもそも環境に対してもっとも脆弱なのはヒトなのかもしれないので、下等・高等という決めつけもよくないのであるが。

生体の場合、新しいタイプのセンサーを(進化によって)獲得するのはとてつもなく大変だろう。時間がかかるし進化途上の状態で性能が出ないと自然淘汰されてしまうかもしれない。だから、感覚器官にはあまり手を加えず、可塑性の高い器官(脳)が発達していった、というのが進化の実体なのだろうか?人工システムの場合、逆にセンサーを追加するコストはそれほど高くないので、人間の進化とは違った方針のほうが有利という可能性もある。