リックライダーの"人間とコンピュータの共生"

とある事情でJ.C.Licklider の"Man-Computer Symbiosis"(人間とコンピュータの共生)を久々に読み返してみた。Bushの"As We May Think"と並ぶ、HCI論文の古典中の古典です。1960年に公表されている。これが今読んでみてもいろんな意味で面白い:

Man-Computer Symbiosis (J. C. R. Licklider, IRE Transactions on Human Factors in Electronics, volume HFE-1, pages 4-11, March 1960)

当時の時代背景はというと、AIという用語が1956年に登場して、すでにコンピュータチェスやGPS (general problem solver)は発表されていた。初期のAIの成功事例から、かなり楽観的に人工知能の実現は可能だと思われていた当時の雰囲気が論文からも伝わってくる。一方で、一般的なコンピュータの使い方はバッチ式が主流だった。バッチ式といってもピンとこないかも知れないが、パンチカードにプログラムを打ち込んで、それを読み込んで実行し、結果をプリントアウトするというスタイルで、要するにまったくインタラクティブではない。

という時代に、「人間のコンピュータの共生」という発想を提案した先見性はやはりすごい。Symbiosisとは「異なる種類の生命体が非常に密接に関連して共存している関係」なので、コンピュータは人間とは異なるというのが発想の根底にはある。だから、究極には人間の知能を代替すると(少なくとも当時)考えられていたAIとは方向性を異にする。Lickliderが考えている共生とは、コンピュータが情報の視覚化や計算処理を担当し、(それとリアルタイムかつ密接なインタラクションで関わる)人間がより高いレベルの知的活動に集中する、という関係だった。


というのが一般的に言われているLicklider論文の評価だが、今回読み返してみて面白かったのは『共生』ではない関係として排除している以下の二つが、逆に最近のHCIのホットトピックになっているところ。

まず、"Mechanically Extended Man"(機械的に拡張された人間)。例えば義足や眼鏡のようなものを意味し、これは共生ではないとしている。しかし、現在的な意味で読み解くとまさにサイボーグやAR(Augmented reality)が"Mechanically Extended Man"に相当するだろう。もしかすると"Digitally Extended Man"かもしれないが。今後は、Licklider的な共生関係と同等(以上)に重要な人間とコンピュータとの関係となるのでないだろうか。

もうひとつが "Humanly Extended Machines”(人間によって拡張された機械)。Lickliderはオートメーション工場に人間がオペレータとして参加している例をあげて、これも共生ではないとしている。しかし、最近の研究で、たとえば監視システムを見ている人間の脳活動情報を使って画像処理システムの機能を向上させようとか、写真のタグ付け処理などにも人間の脳を使っちゃえみたいな試みがあるが、これらは「人間によって拡張された機械」に相当するのではないだろうか。また、Humanly Extended Machinesがさらにネットでつながる可能性がある。Amazon Mechanical Turkなどのように。あるいはもっと非明示的だが、人類からの検索要求を黙々と食べて成長しているgoogle検索エンジンも人間によって拡張され(得る)機械かもしれない。拡大解釈してしまえば、recommendation engineなど、集合知的な振る舞いをするネットサービスはすべからくHumanly Extended Machinesであると言うこともできるのではないか。


もう一点、これも前回読んでいたときには印象に残っていなかったのだが、Lickliderは"机型ディスプレイ""壁型ディスプレイ"の可能性についても言及している。

たとえば、

Desk-Surface Display and Control: Certainly, for effective man-computer interaction, it will be necessary for the man and the computer to draw graphs and pictures and to write notes and equations to each other on the same display surface.

とか、

Computer-Posted Wall Display: In some technological systems, several men share responsibility for controlling vehicles whose behaviors interact. Some information must be presented simultaneously to all the men, preferably on a common grid, to coordinate their actions.

とかいったように。まさに(最近大はやりの)"surface computing"を半世紀近く前に予見していることになる。当時、まだコンピュータの出力形態は紙が主流だったことを考えるとこれも相当に先進的な発想だろう。

LickliderやBushの論文は、パソコン黎明期に一度再評価ブームがあって邦訳(以下)とかも出ていたが、そこからさらに時代を経た今の感覚で読み解いてみるとまたいろいろ発見がある。機会があればじっくりと読んでみることをおすすめします。と同時に、では今から48年後の2056年に読み返されたときに、「先見性があった」と言われる発想って何なのだろうと思うと気が遠くなる思いだ。